駒木ハヤトの西日本ボクシングレポートアーカイブ

かつて京阪神地区のボクシング会場に通い詰め、レポートを記した男ありけり。はてなダイアリーから記事をインポートしたものの、ブログ化して格段に読み難くなってしまいました。

WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ12回戦/●《王者》マーティン・カスティーリョ[墨国](10R1分02秒TKO)名城信男[六島]《挑戦者・同級1位》○

既に4度の防衛を果たし、名実共に一流世界王者の地位を着々と固めつつあるカスティーリョを相手に、名城信男辰吉丈一郎に並ぶ日本最速タイ記録・プロ8戦目での世界タイトル獲得にチャレンジする大一番。日本人世界ランカーを三連覇した指名挑戦者に期待する声も上がれば、プロキャリアの浅さと直近の試合での精彩を欠くパフォーマンスから「無謀な挑戦」との声も聞こえる。マッチメイク自体への賛否両論も交錯する中、ともかくも賽は投げられた。


王者のマーティン・カスティーリョは、アマ180戦プロ31戦という豊富なキャリアを誇る29歳。98年のプロデビュー以来21連勝をマークする華々しいスタートを切ったものの、02年3月のタイトル初挑戦(IBF世界Sフライ級)に失敗して大きな挫折を味わう。しかし8ヵ月後に再起した後は再び白星街道を突き進み、04年5月に石原英康とのWBA世界Sフライ級暫定王座決定戦に勝利して戴冠を果たすと、12月には正規王者アレクサンドル・ムニョスとの統一王座戦にも勝利して、正規王座に就くと共に初防衛に成功。その後、石原、ムニョスとのリターンマッチを含む3度の防衛戦にいずれも勝利し、王者としてのキャリアは既に2年を突破している。プロ戦績は30勝(16KO)1敗、今日が5度目の防衛戦となる。


対する挑戦者の名城はプロキャリア僅か3年・7戦という24歳。近畿大学在学中はアマチュアボクシング部で活動するも38勝19敗と伸び悩んだ。しかし大学を中退してプロ転向、03年7月にデビューを果たすと同年12月までに短時間KO勝利を3つ重ねて素質開花。翌04年には竹田津孝[森岡]、本田秀伸[Gツダ]を連覇して、僅かプロ5戦で世界ランカーの仲間入りを果たす。そして翌05年4月、日本Sフライ級王者(当時)で、旧知の仲でもあった田中聖二[金沢]に挑戦したタイトルマッチでも勢いは止まらず、素晴らしい試合振りで10RTKOの圧勝。日本王座とWBA・WBC両団体の世界上位ランクを獲得した。
しかし好事魔多し、この試合の12日後に田中聖二リング禍によって急逝し、名城は一転して失意のドン底に追いやられる。親愛なるライバルを死に追いやってしまった自責の念、そしてまた、人を己の拳で殴り付ける事に対する恐怖。余りの精神的重圧に一時は本気で引退をも考えたという。だが、7ヵ月後の05年11月、日本王座防衛戦兼WBA王座挑戦者決定戦(VSプロスパー松浦[国際])で戦線復帰。ブランクと精神的重圧を跳ね除けるために課したオーバーワークの影響もあって苦戦を強いられたが、3−0の判定でこれに勝利して遂に世界王座に王手を掛けた。プロ戦績は7勝(4KO)無敗。確かに浅いキャリアだが、対戦相手は全て日本人、しかも全員が格上か同格の強敵揃いという“濃度”の高さは、少なくとも東京都新宿区界隈*1ではお目にかかれないモノである。


1R。名城は試合開始直後から積極的。捨てパンチ気味の右オーバーハンドで機先を制すると、ロープに詰めての上下へ散らした左フック、更に強打を畳み掛けてヒット数でリード。しかしカスティーリョはガード上へのジャブで手数を稼ぐ“採点対策”重視のファイトで老獪に立ち回り、守っても巧みなボディワークでクリーンヒットを許さない。そしてラウンド終了間際、名城の左フックに合わせ、同じく左フックをカウンターで放つと、これが見事なクリーンヒット。名城はたたらを踏む感じでグラつき、ダウン寸前の大ピンチ。だがここは危うい所でゴングに救われた。
2R。前のラウンドを引き継ぐ形でカスティーリョのペース。小刻みなリードジャブを以て自分のリズムを築き、順調に手数を稼いでゆく。名城は持ち前の手堅いガードで被弾は最小限度に抑えるものの、攻めるタイミングを外されて手数が伸び悩む。ならばと強引にロープに詰めて左右の強打をヒットさせるも、カスティーリョは左アッパーとフックで反撃し、優勢を確保。しかしこのラウンド、名城の右ストレートがカスティーリョの目尻を浅くではあるが切り裂いた。
3R。劣勢を意識した名城が再び積極的に仕掛ける。本来の射程範囲ではない中間〜やや遠距離から右ストレートやアッパーを再三有効打して主導権を奪い返すと、更に左のフックの上下ダブル、アッパー、カウンターブローを追加して優勢を確保。カスティーリョも要所で左カウンターを決めて抵抗するが、このラウンドはしてやられた感じ。
4R。カスティーリョはこのラウンドもガード上へのジャブで手数を稼ぎつつ、実に渋いインサイドワークで名城のタイミングを外して主導権を引き寄せる。だがラウンド終盤には名城が強引に圧力をかけて右ストレートを中心にヒットを重ねて有効ヒット数では逆転。あとは主導権と手数をジャッジがどう判断するか。
5R。ラウンド序盤はカスティーリョがジャブ攻めで小差リードも、中盤以降は名城が右ストレートで再三有効打。左ジャブもタイミング良く決まって、密度の濃い攻撃が見られた。終盤にはカスティーリョがカウンターを2、3発決めて主導権の奪回を図るが、名城はすかさず圧力をかけて不発気味ながら強打で攻め立て、アグレッシブさをアピールする。
6R。カスティーリョは名城有利の展開を修正すべく、自ら積極的に圧力をかけていって左右のフック、アッパーで手数攻め。だが名城もこれに臆せず、ショートレンジからジャブ、ストレート、ボディフックで迎撃してカスティーリョの足を止め、目尻の傷も更に深く切り裂いてゆく。それでもカスティーリョは王者の意地で再度反撃に転じたが、名城は有効打2発を追加して拳で「自分のラウンドだ」と主張する。
7R。カスティーリョはこのラウンドも序盤に勢い良く攻勢を仕掛け、左のジャブ、ボディブローで鋭く攻め込みヒットを重ねた。しかしダメージの蓄積か減量苦の影響か、足捌きに精彩を欠き、ラウンド中盤以降はアグレッシブな挑戦者の反撃を許す。この日、キレにキレている名城の右ストレートが次々とカスティーリョの顔面へ襲い掛かる。王者はスリッピングアウェーでダメージを逃がそうとするが、鋭く突き出される拳を受け流し切れず、ダラダラと傷口から血を流しながら顔面を度々のけぞらせてしまう。ラウンド終盤も名城の圧力を捌き切れない。
8R。激闘の反動か、このラウンドは両者足が止まり気味で、フェイントなどのインサイドワークを駆使してのテクニカルな攻防戦に。しかしこうなるとカスティーリョの天下。いかにもWBAのジャッジが好みそうな手数攻勢で、ヒット数でも渋太くリード。名城も右ストレートで有効打を浴びせるが散発的。
9R。技巧戦での劣勢を自覚する名城は体力を振り絞って積極策へ回帰。右ストレート中心の攻めで有効打を連発し、主導権も引き寄せる。だが流石はカスティーリョ、鮮やかなボディワークでクリーンヒットを回避する一方で、細かく手数を重ねつつワン・ツー、左ボディを決めてヒット数でも肉薄。この辺りがパンチ力の無いカスティーリョが名王者たる所以か。
10R。カスティーリョはワセリンの塊で傷口を塞ぐ痛々しい顔面だが、守りに入るどころかギアを一段上げるような感じで積極性を増した攻勢へ打って出る。豊富な手数から左右のボディ、ワン・ツーでヒットを奪って、この試合何度目かの主導権奪還に成功する。だがここでピネーダレフェリーはカスティーリョの傷口をチェックすると、ドクターストップを待たずしてここでTKOを宣告。当の名城本人よりもセコンドの方が先に勝利を確認するという唐突なタイミングで、王座交代の瞬間が訪れた。
後から判った事だが、既に9R終了後のインターバルでレフェリーはカスティーリョの傷が随分深いのを確認し、次ラウンドのストップも辞さない旨、王者側に通告していたそうだ。誤解されがちだが、リングドクターは試合終了を「勧告」する事は出来るが「権限」は無い。リング上における「権限」は全てレフェリーが有する。よって、通常は殆ど見られない形での負傷TKO裁定ではあるが、これでもルール上何ら問題は無い。


とうとう名城信男が僅かプロ8戦目で世界タイトルを奪取を果たした。彼の試合後の第一声を借りれば「奪取してしもうた」といったところか。アマチュア時代は伸び悩み、プロ入りしてからも色々な事情もあって日陰に追いやられていた悲運の男が、遂に表舞台、しかも世界の頂点に立ったのだ。
試合内容は、予想通り苦しい展開だった。開始当初から圧力をかけて攻勢を仕掛けるも、王者の巧みなインサイドワークによって、彼の一番の持ち味である膨大な手数の波状攻撃を封殺されてしまう。しかし劣勢を意識する度に、勇気と限りのある体力を振り絞ってアグレッシブな攻勢に打って出たのが功を奏した。また、彼の“隠し味”である類稀な当て勘の良さと守備力の高さがフルに発揮されたのも大きかっただろう。日本王者クラスを相手にした時のように上下左右変幻自在とまではいかなかったが、右ストレートと左ボディフックを愚直に、しかし鋭く打ち込んでゆき、王者の最大の長所であるスピードを減耗させる事に成功。最後まで主導権を王者の懐に収めさせなかった。
9Rまでの採点が三者三様の互角、10Rも劣勢の立ち上がりとあって「このまま判定決着に持ち込まれていたら……」という声が上がってはいるが、元々生じた時には浅かった傷を、明確な有効打を数多く積み重ねて試合続行不可能に追い込んだTKO勝ちなのだから、この試合に判定決着の余地など元々無かったのだ。名城サイドは外野からの机上の空論に耳を傾ける必要は全く無いだろう。
それにしても思い返すのは昨年11月のVS松浦戦。駒木は2階席から観戦していたが、名城の強打が松浦の顔面にクリーンヒットする度に思わず顔を背けたくなる自分がいた。4月のVS田中戦で田中が打ちのめされるシーンがフラッシュバックして戦慄が走ったのである。遠く離れた距離で観戦している駒木ですらこれなのだから、当事者である名城の抱いた恐ろしさは如何ほどのものだっただろう。殴られる事ではなく、殴る事に対する恐怖。対戦相手を傷つける行為を全力で試みながら、それを拒否したい己が心とのジレンマ。名城は目の前の対戦相手と戦いながら、どうしても逃れられない自己矛盾と戦っていたはずである。11月の試合も、そして今日も、彼は身の危険に脅かされ誰も助けてはくれない極限状態の中、重い重い十字架を背負って戦って来たのだ。そんな中で勝ち獲った世界の頂点。その意義は深く、そして尊い
この勝利と不幸な出来事を結びつけるのは仕方ない。だが、この奪い取ったチャンピオンベルトは誰が何と言おうと名城信男ただ1人のためのものである。
試合後、名城は新王者としての抱負として「出来るだけ強い選手と面白い試合して、お客さんに喜んでもらいたい」という旨のコメントを、相変わらずの「謙虚さ」という言葉が擬人化したような態度で語った。今後はしばらく心身を休めた後、早ければ12月にも開催されるという初防衛戦へ向けて動き出す事になる。


一方の敗れたカスティーリョは、試合終了直後こそ落胆を隠せない様子を見せたものの、ドレッシングルームに戻った後は、敗れてもなお王者の風格を漂わせる威厳に満ちた受け答えで淡々と己の敗北を認め、新王者・名城の健闘を大いに称えた。試合終了までの過程がややイレギュラーだっただけに、試合後のコメントが荒れてもおかしくない場面ではあったが、彼のこの紳士的な立ち振舞いは実に素晴らしい。
さて試合内容の方は、名城の積極策に主導権を確保し切れず、なし崩しにスタミナとスピードを失う厳しい展開ではあったが、実に巧みな攻守の技術を駆使してジャッジ的には最後まで互角に渡り合い、流石というところを見せた。絶えず手数を出し続けて“アグレッシブ”と“ジェネラルシップ”の有利をアピールし、劣勢に立たされても要所要所で上手く立ち回ってビハインドは小差の範疇に留めたのは立派の一言。今回は負傷に泣かされた格好だが、名城さえ台頭して来なければ“負けない王者”として更に数度の防衛を重ねていた事だろう。無冠となってしまったが、依然として今後の動向に目の離せない存在である。

*1:ヒント:この辺にある大手ボクシングジムと言えば?