駒木ハヤトの西日本ボクシングレポートアーカイブ

かつて京阪神地区のボクシング会場に通い詰め、レポートを記した男ありけり。はてなダイアリーから記事をインポートしたものの、ブログ化して格段に読み難くなってしまいました。

WBA世界フライ級タイトルマッチ12回戦/●《前王者》ロレンソ・パーラ[ベネズエラ](3R0分14秒TKO)坂田健史[協栄]《挑戦者・同級3位》○

“悲運の闘将”坂田健史が進退を賭けて4度目の世界タイトル挑戦、そして3度目のパーラ攻略作戦に挑んだ最終決戦となるはずのこの試合、前日から大荒れの展開となった。来日時から明らかにオーバーウェイトの気配を窺わせていた王者・パーラが実に2.8kg(再計量2.1kg)オーバーの大失態で王座剥奪されてしまったのである。これにより今回の試合は、「坂田が勝てば坂田の世界奪取、ドロー及びパーラの勝ちならば暫定王者バスケスの自動的正規王者昇格」という変則条件下で行われる事になった。
更に、確信犯的な計量失格による“逃げ得”を許したくない坂田側陣営からの強硬な抗議により、試合当日17時に非公式の再計量を行い、出場両者は53.5kgリミットでの試合出場を義務付けられた。異例も異例、前代未聞の緊急事態と言えよう。話を聞きつけ、試合不成立を恐れたWBA首脳が国際電話でパーラに義務履行を厳しく勧告した甲斐もあって、当日計量はパーラも“無事”クリアし、果たしてタイトルマッチは予定通り行われたが、日本ボクシング界のスキャンダル史にまた1つ新しい項目が追加記載される事になってしまった。


計量失格により試合前にして前王者となったロレンソ・パーラは27勝(17KO)無敗のパーフェクト・レコード。99年にデビューして以来、ベネズエラ国内で連勝街道を驀進し、00年9月にはWBAのLフライ級ボリビアン王座を、翌01年7月にはWBAフライ級ラテン王座を獲得(2度防衛)する。そして遂に03年12月、6度目の防衛を狙うエリック・モレルからWBAフライ級世界王座を奪取し、無敗のまま世界王者へ。その後は一昨年12月に至るまで5度の防衛に成功。日本では2度の坂田の挑戦を退けたほか、トラッシュ中沼[国際]にも明確な判定勝ちを収めている。しかし5回目の防衛戦の後はヒザを故障して手術に踏み切り、長期ブランクに突入。一時期は王座の返上や防衛戦不履行による剥奪も取り沙汰されていた。今回は1年3ヵ月ぶりの再起戦、そして6度目の防衛戦となる予定だったのだが……
一方の挑戦者・坂田は29勝(14KO)4敗1分。98年にデビューし、99年度フライ級全日本新人王を獲得すると、01年にはプロデビュー以来15連勝で日本フライ級王座を戴冠する。02年、4度目の防衛戦でトラッシュ中沼に敗れて王座から陥落するも、翌年のリターンマッチで王座を奪回、更に2度の防衛を重ねて世界挑戦のために返上した。世界王座には04年と05年にパーラ、06年にはロベルト・バスケス暫定王座)の計3度挑戦し、いずれも互角かそれ以上の内容で大健闘しながら微妙な判定に泣いて未だ世界王座獲得は果たせていない。特に試合序盤にアゴを砕かれながらも奮戦した04年のパーラ戦はボクシングファンの間で語り草となっている。


試合前日からの経緯を熟知している熱心なボクシングファンで超満員となった後楽園ホールは、選手入場前から異様な雰囲気。パーラが入場するや猛烈なブーイングや怒号が浴びせられ、中には「坂田、殺せ!」という物騒なものも。館内は危険なほど騒然としており、試合の結果如何では何が起こってもおかしくない不穏なムードすら漂っていた。そんな中でもパーラは余裕を切らさず、コミッショナー宣言中に「計量失格」の文言が朗読されて再度強烈なブーイングが浴びせられた際にも不敵な笑みを浮かべてさえいた。一方の挑戦者・坂田は“負の応援”に表立って反応する事も無く求道者のような顔で自コーナーに佇む。このようにリング上では、試合前からこのタイトルマッチに賭ける両者の想いのギャップが浮き彫りになっていた。


1R。中間〜遠距離での攻防戦。坂田は果敢に圧力をかけていくが、パーラの絶妙なステップ、ボディワークに的を外されて手数を打ち込む事すらままならない。逆にパーラはやや動きに鈍さを感じさせるが、上下にストレート、ジャブを打ち分けて渋太く坂田に手数と軽度のヒットを積み重ねてゆく。形勢は小差〜微差、公式ジャッジも三者三様の採点にはなったが、このラウンドはパーラの能力の高さの片鱗を窺わせる芸術的なパフォーマンスが目に付いた。
2R。坂田は前ラウンドの劣勢にも怯まず、パーラをロープ際に詰めつつボディ中心に手数と軽いヒットを積み重ねてリードを奪う。パーラは熟練のインサイドワークとジャブで捌こうとするが、ロープ際を伝わされて守勢。動きやパンチのキレも鈍く、やはり減量失敗と、当日再計量による体力回復の遅れが響いている様子。なお、このラウンドの公式採点はジャッジ3者とも10-9で坂田を支持。
3R。ラウンド開始のゴングが鳴らされてもパーラ陣営はセコンドアウトせず、パーラ自身もレフェリーの催促に応じる気配を見せない。「ボックス」の指示を無視された形になったレフェリーは、パーラの戦意喪失と看做してTKO裁定で試合を中止。事実上の2R終了TKOだが、3R開始のゴングが鳴らされているため公式記録は0分14秒TKO。


坂田健史、悲願の世界王座奪取成る。自らの勝利を宣せられた瞬間、坂田は求道者の顔を崩して男涙に咽びながら勝利の雄叫び。不本意な形での試合終了も彼の過去の経緯と王座奪取の現実からすれば瑣末な事だったのだろう、客席からも一部心無い人がパーラ目がけて物を投げつけたものの、大半の観衆は試合内容の不満を語るより先に坂田へ王座奪取を祝福する拍手と歓声を送り、試合終了後会場閉鎖まで居残って喜びを分かち合う人の姿も多数見受けられた。坂田の、先代会長時代からの協栄ジムの、そして全国のボクシングファンの切なる願いが満たされた記念すべき一夜となった。
勿論今日の試合内容は「事実上の試合不成立」と断ぜられても不思議無いものであり、坂田の勝利と世界王座戴冠も100%地力で引き寄せた結果であるとは言い難い。しかし、坂田は過去3度の世界挑戦で世界王者に準ずる能力がある事を十分過ぎる位に証明しているし、パーラ相手にも内容互角の好勝負を2度に渡って繰り広げている。今回の挑戦も、バスケス戦の好内容と微妙なジャッジを受けてのダイレクト・リマッチ、その事実上の代替措置である事を考えると、この勝利は得られるべくして得られたものだと言えるだろう。パーラが早い段階で減量と勝利を諦めたのも、対戦相手が彼を散々苦しめた坂田だったから、という推測も可能である。今回の事態を昨年来の協栄ジムや別の所属選手のスキャンダラスな出来事の延長上に置く向きもあるが、その見解が的外れというのはボクシングを愛する読者諸氏なら解説に文言を費やさなくても既にお分かりだろうと思う。
晩節を汚す形で初の敗北を喫し、これまでのボクシング人生で積み上げて来た諸々を失ったパーラは試合放棄の理由を「2Rに坂田からのバッティングを肩に受けて負傷した」と説明したが、その主張は真偽を究明する動きすら出ないまま聞き流されている。今日の彼が本来の彼でいられたのは、1Rの僅か3分間だけだった。過去2回の坂田戦では序盤戦を確実な優勢でまとめていた事を考えると、2Rの時点で完全に劣勢に陥った彼が、たとえその後も試合を続行していたとしても、坂田の王座獲得を阻止出来た公算は相当低いと言わざるを得ない。