駒木ハヤトの西日本ボクシングレポートアーカイブ

かつて京阪神地区のボクシング会場に通い詰め、レポートを記した男ありけり。はてなダイアリーから記事をインポートしたものの、ブログ化して格段に読み難くなってしまいました。

三谷将之引退セレモニー

全試合終了後、スーツ姿に着替えた三谷がリングに上がり、元・現役の世界王者たちの来賓を出迎えて引退セレモニーが行われた。恐らくはスカイAの協力で制作されたデビュー戦からの全試合のダイジェスト映像も流され、これだけでも小会場の興行が打てるのではないか、という予算と手間暇がかけられた素晴らしいイベントだった。三谷がどれほど高砂ジムの人たちに愛され、大事にされていたのかが観客席にも伝わって来た。
三谷の姿は筆者がまだこのブログを開設する前の4回戦時代からリングサイドで見続けて来たが、グリーンボーイ時代から、文字通り筆者の素人目にも判るスピードと華を持った逸材だった。ただ、余りにもスピード面の才能が突出しているがゆえに、そして負傷がちの拳も災いして、ある種のひ弱さと脆さを感じさせる選手でもあった。出世は比較的順調だったが、微妙な判定に救われた試合もあり、一時期はマニアには受けの悪い、名目上の地位が先行するタイプの選手でもあったと思う。だが、日本タイトルを獲得し、メキシコ遠征を経てからの三谷は、別人のような力強さと安定感を持った強豪に姿を変えていた。恐らく彼のベストバウトであろう寺畠章太[角海老宝石・引退]戦のKOシーンに遭遇した時の筆者の驚嘆と興奮は、今なお色褪せない想い出の一つである。その後、世界ランカー級の選手に2敗を喫し、王座からも転落した三谷だったが、筆者は彼が雌伏の時を経て再び逞しく変身し、いずれ世界王座を射程圏に収める、その時を心待ちにしていた。しかし、運命は残酷である。我々ボクシングファンは、あと何回若者の夢と身体が不可抗力によって砕かれる所を見届けなければならないのだろうか。
数少ない救いは、彼が日常生活には支障の無い体に回復し、既に第二の人生を歩み始めている事だろう。既にセコンドの業務にも就いており、近い将来はトレーナーライセンスの取得も目指すとのことだ。人伝に聞いた話によると、選手時代に彼が築いた人間関係と信頼によって安定した職も得ているとの由。今後は次代のホープを育て、「理想的なリタイヤしたプロボクサーの第二の人生」を具現化したような、物心ともに恵まれた未来を築いてもらいたい。三谷自身が、そして我々ファンが夢見ながらも届かなかった世界奪取の夢が、彼の教え子によって成し遂げられる日がやがて巡り来て、その時、リングサイド席で歓喜の叫びを上げられるのならば、筆者にとってこれほど幸せな事はない。三谷将之選手ありがとう、そして三谷将之トレーナーと教え子たちの将来に幸有らん事を。