駒木ハヤトの西日本ボクシングレポートアーカイブ

かつて京阪神地区のボクシング会場に通い詰め、レポートを記した男ありけり。はてなダイアリーから記事をインポートしたものの、ブログ化して格段に読み難くなってしまいました。

第7試合・OPBF東洋太平洋Lフライ級タイトルマッチ12回戦/○《王者》ファニト・ルビリアル[比国](5R2分42秒KO)中島健[Gツダ]《挑戦者・同級7位》●

メインイベントは強豪王者・ルビリアルに、Gツダジムの軽量級次将格・中島が挑むOPBFタイトルマッチ。
王者・ルビリアルは44勝(18KO)10敗7分の戦績で、WBC4位、WBA11位、IBF11位の世界ランカーでもある。94年に17歳でデビュー。当時はやや平凡なキャリアに甘んじたが、99年にWBCインター王座を獲得した頃から一気に本格化。その後、現在に至るまで4度の世界挑戦(いずれも敗北・失敗)を除いた東洋圏での試合では無敵を誇っている。日本に来日歴のある世界ランク登載経験者にも土をつけ、中立地・地元での試合ながら日本人にも4勝を挙げるなど、その実績は折り紙付き。現在の東洋王座は昨秋に、先日亀田興毅と戦ったイルファン・オガーを7RTKOに降して奪ったもので、今回が初防衛戦。
挑戦者・中島は16勝(10KO)4敗の戦績で、現在WBC世界23位、OPBF7位、日本2位のランキング保持者。99年のデビュー以来、大きく白星を先行させて早い段階で日本ランクにも登載。相手は東洋人中心ながら、4戦目にロデル・マヨールとの冒険マッチ、敵地タイでのチャナ・ポーパオイン戦を経験する(いずれも敗戦)など、Gツダジムの“ホンマモン路線”の先駆者的存在。05年には世界ランカーに連勝、06年1月には1階級下げてイーグル京和[角海老宝石]の保持するWBCミニマム級王座にも挑戦した(7RTKO負けで失敗)。その後はタイ人相手の調整戦を積んで照準をOPBF王座に合わせるも、昨年11月に“OPBF王座挑戦者決定戦”と銘打たれた国重隆[大阪帝拳]との試合に敗れて世界ランクも手放してしまう。だが、業界内の複雑怪奇な過程を経て、挑戦権は中島の手に急速転回。結果的には、こうして東洋王座と世界ランク復帰を賭けた大一番に臨む事となった。
1R。中間〜近距離での攻防戦。共にジャブ起点にフック、アッパー中心の強打に繋げる攻撃だが、互いに守備手堅くヒット数はロースコア。ラウンド後半から中島が左右フックで散発的ながらヒットを奪い小差ながら数的に優勢。
2R。ショートレンジ打撃戦。ボディフックを起点に上下へアッパー、フックを散らしてゆく展開。共にヒット、有効打を重ねてほぼ互角の展開も、ルビリアルの圧力が強く、攻勢と主導権支配で僅かに優位か。
3R。近距離から至近距離での内容濃密な打撃戦。中島は明確なヒットこそ乏しいが手数豊富に攻め立てる。ルビリアルがラウンド中盤に三連打を決めてヤマ場を作るが、終盤には中島も右ストレート浴びせて追撃。
4R。至近距離での打撃戦。ラウンド序盤は中島がロープに詰めてヒットを重ね、押し気味とするが、中盤以降はルビリアルが力強い反撃で逆に2度、中島をロープに詰める迫力十分の動き。
5R。このラウンドも至近距離での攻防。中島はここでも先手を奪うが、ルビリアルの強烈なボディ攻めに体力を根こそぎ削り取られて次第に失速。何発目か勘定も出来ないほど執拗なボディブローで1度目の、ボディから顔面へのフック連打、更に右フックと繋げたコンビネーションで2度目のダウンを相次いで喫する。それでも中島は死力を尽くして抵抗するが、ルビリアルは容赦なくラッシュで畳み掛けて中島をキャンバスに崩した。スリーノックダウン扱いでKOの裁定。
ルビリアルは近距離からボディ中心にダメージブローをしつこく叩き込み、壮絶な打撃戦に競り勝って終わってみれば完勝。地味ながらガードの手堅さとパンチの精度で優位に立ち、これらを試合の内容と結果に繋げた。多くの要素で中島を上回り、東洋無敵の実力をみせつけた。OPBF王者ではランディ・スイコやウェート・サックムアングレーンとに匹敵する強豪王者と言えるだろう。
中島は真っ向勝負から打ち合いに出て、果敢によく戦った。成長の跡を見せ、プロキャリアで恐らくは最高のパフォーマンスといって良いだろう。だが、最後は攻守の微妙な巧拙の差を咎められ、キャンバスに三度這わされる結末に。世界王座挑戦の時といい、実に悪いタイミングでタイトル挑戦を果たしてしまったものである。そして試合後の記者会見では引退を表明。29歳という年齢、そして所属ジムの資金難という問題を抱えては再出発も容易ではないのも確かだが、漸く本格化の兆しを見せて来ただけに残念でならない。一攫千金とも言うべき大チャンスを豊富に与える“ホンマモン路線”、彼はその先駆者でありながら、その路線を歩むタイミングとスピード調整の難しさを体現する選手でもあった。悔いは残らねど、さりとて悔いは有り、というのが中島本人そして関係者の本音なのではないだろうか。彼にもまた今後の人生に幸有らん事を祈る。