駒木ハヤトの西日本ボクシングレポートアーカイブ

かつて京阪神地区のボクシング会場に通い詰め、レポートを記した男ありけり。はてなダイアリーから記事をインポートしたものの、ブログ化して格段に読み難くなってしまいました。

第7試合・ミドル級10回戦/○丸元大成[Gツダ](2R1分51秒TKO)ヌンテップ・シットサイトン[タイ国]●

丸元は21勝(9KO)9敗1分のサウスポー。Sウェルター級でOPBF10位、日本5位のランカー。99年にデビュー。01年、2度目の挑戦となった新人王トーナメントではウェルター級西軍代表まで進出。音田隆夫[トクホン真闘]との全日本決勝は2RKOで敗れるも、翌年から2年間負け無しの6連勝をマークし、A級上位の実力をアピールした。04年からはリスクの大きいビッグマッチにも積極的に挑み、ビー・タイト出場(1回戦で日高和彦[新日本木村]に敗退)、レブ・サンティリャン[比国→石神井スポーツ]が保持していたOPBF王座に挑戦する(12R判定負け)など貴重なキャリアを積む一方、黒星以上の白星も挙げてランカーとしてのポジションを確固たるものとする。05年末から06年5月にかけては、東洋アジア人相手のノンタイトル戦で連続KO負けを喫する大不振に陥るが、同年9月、山口裕司[ヨネクラ]が保持していたOPBF王座に挑戦し、7RTKO勝ちで殊勲の王座奪取を果たす。この王座は07年2月に1度防衛後、7月に元王者・サンティリャンに明け渡すが、日本ボクシング界での地位を再び確立させた。王座陥落後はタイ人相手に2勝し、前回08年11月には日高和彦[新日本木村]にその王者が交代したOPBF王座の奪還に挑むも、4RKO負けに屈している。今回は再起初戦。
ヌンテップは自称戦績7勝(2KO)3敗。05年9月デビューで、今回が初来日のノーランカー。
1R。丸元はガードを固めて密着戦へ。左右ボディ→左アッパーでヒットを量産して早くも大差優勢。ヌンテップはいかにもムエタイ臭い、ボディのガードがガラ空きの構え。ボディ中心に手数を出す場面もラウンド後半にはあったが、迫力不足は否めない。
2R。このラウンドも丸元は左右ボディからのアッパー連打。ヌンテップもやはりボディを返すが、丸元は平然と攻め続け、最後はまたもボディ→アッパー連打。ヌンテップはガクリと崩れ落ちてダウン。カウント6の時点で宮崎主審は試合を止めた。
丸元は格下のタイ人ノーランカー相手に無難な再発進。相手が弱すぎて参考外の部分も多いが、試し斬りの切れ味は上々といったところか。